広州空港でフライト遅延中に思い出した適応障害のこと。

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どうも!のぶさん(@nobu3manyu)です。

現在、広州空港で上海行きの飛行機が遅れております。この調子だと何時ボーディングかもわからないので、ブログを書いてやり過ごすことにします。

今日の内容はとりとめのない、過去のじぶんに向かい合う内容です。

たったいまフォルダ(MACだとディレクトリか?)を整理していたところ、ぼくの人生の先輩からもらった言葉が見つかりました。

先輩は30歳を超えて畑違いの職種に飛び込みました。その後は中国語も話せない状態のまま独りで乗り込み、中国現地法人を立ち上げた凄まじい経験をもっていました。いまは日本に戻り、新たな環境でチャレンジしている最中です。

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適応障害だったぼくに先輩がかけた言葉。

最後は、自分の今後をどう生きるかを優先に考えて下さいね。
会社は、社員の将来まで保証できませんから・・・。

この言葉をかけてもらった時、ぼくは悩みに悩んで適応障害と診断される状態までいっていました。その時の診断書は、まだビジネスリュックに入っています。

中国人スタッフもいない日本人たった独りの中国駐在という環境の中、仕事やプライベートでの出来事が重なったのでしょう。一気に精神をやられてしまいました。この7年間大丈夫だったのに、不思議なものですよね。

当時は眠くなっても夜寝てしまうと朝がきてしまうため、出来るだけ寝ない様にしていたことを覚えています。いまは回復していますが、当時を振り返ると良く戻ってこれたなという思いです。

適応障害の症状が何故回復したか?

B型で末っ子ということもあり、もともと神経質ではない性格です。そんな僕が適応障害になってしまったのです。流石にじぶんでも落ち込みましたし、どうしていいかわかりませんでした。

このような状態が半年近く続いたところで、ちょうど中国の旧正月で連休に入りました。その休みを利用して、これまで行ったことのない沖縄へ3泊4日旅行に出かけました。

沖縄旅行では観光はほとんどせずに、糸満市の摩文仁にある平和祈念公園や慰霊碑を中心に回りました。もともと歴史に興味があったのと、日本人として沖縄は訪れてみたかったのです。

沖縄で目にしたのは、戦争当時のとても言葉では言い表せない悲惨な歴史でした。

「死にたくないけど、戻るも地獄。進むも地獄」

そうしてじぶんより若い沢山のひとが、自ら命を絶っていった話を何度も目にしました。

摩文仁の丘にある霊域では、供養に使用するお花を売っているおばあちゃんから当時の話をききました。

「あのあたりの崖から死にたくないって言っている人を兵隊さんが押してたの。そして兵隊さんもそのあとに続いて身を投げたんだよ」

なんとも言えない気持ちで暫く霊域を歩き回ったのを覚えています。

人間は自分の生き方を選択できる。

沖縄旅行が終わったあと、ぼくは人生を選択できる時代に生きていることの有難味を噛み締めました。遅かったかもしれないけど、沖縄旅行を通じて自分の人生を改めて主体的に選択しようと決めました。

そうしたら、適応障害と診断された当時の状態はどこかにいっていました。

いまいちど、じぶんで人生を選択できる状況を振り返ってみた次第です。

以前読んだ特攻隊員に関する著書です。人生の幕を自ら降ろさなければならなかった隊員の、悲痛な思いが伝わってきます。