マラソン大会を作り上げてくれるみんなに、ランナーは少しでも感謝の気持ちを表せないかな?

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どうも!のぶさんです。

5月22日に行われた大連国際マラソンを120%満喫しまして、また日常生活に戻ってきております。

ぼくはこれまでスタートから応援で溢れているレースにでたことがありませんでした。例えば、毎年12月にカジノで有名なマカオで行われるマカオマラソンですが、朝5時からスタートのため、観客は数えるほどしかいません。

続いて香港マラソン。

こちらはスタートとゴールこそ香港市街ですが、殆どは高速道路を走るコースです。当然ながら高速道路には応援してくれる観客はおりません。

そんな経験しかなかったので、スタートから応援で溢れていた大連国際マラソンは物凄く新鮮でした。

でも、走っているうちに、自分の頭の中をある疑問がグルグルとまわっていました。

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応援者とランナーの間に何か壁を感じた。

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沿道には楽器演奏から看板をもって応援してくれる人々で溢れていました。本当に情熱的で走りながら素晴らしいと最初は感じていました。

でも、途中から何か違和感がするのです。

違和感というよりは、応援者とランナーの間に一枚の見えない壁がある感じです。

その違和感も走っている途中で判りました。

違和感を感じさせた理由、それは、ランナーと応援者の間に触れ合いが殆ど見られなかったことでした。

応援をしてもらえるのがあたりまえだと思っていない?

以前ある雑誌で市民ランナーの方が「応援がないマラソンはありえない」といった内容を話していました。この方はなにも「あたりまえ」だと思っているとは思いませんが、ランナーが特別な存在だとぼくは受け取ってしまいました。

応援者からすると、ランナーが必至こいて走っていても別に応援する義務はありません。それでも応援してくれるのは「大会を盛り上げたい」「ランナーを励ましたい」といった想いがあるからです。

コース設定の関係上テープで仕切られていますが、手を伸ばせば簡単に届く距離です。苦しい中でも声を出して「ありがとう」ということもできます。

でも、そのようなふれあいはぼくが走っているなかではあまり見かけることはありませんでした。

マラソン大会はランナーだけのものじゃない。

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マラソン大会は運営委員からボランティアの方々、そして応援をしてくれる人がいるからこそ成り立ちます。決してランナーだけが主役ではないのです。

それならば、運営してくださる方々に少しでも感謝の気持ちを表してほしいと思います。

実際にぼくは走っているときに楽器隊を見かけると、できるだけ手を伸ばして応援者の方とハイタッチをしていました。ここで初めて、応援してくれる方々と繋がることでできたと感じています。

いっぽうで、応援してくれる方々も100%手放しではないんです。きっと心の底ではランナーとの距離を感じています。それを取り去ることができるのは、走っている我々がこちらから積極的に触れ合うことです。

そして、ふれあいの形はなんでもいいんです。

ハイタッチ、「ありがとう」の一声、アイコンタクト、、、なんでもあります。

そんな違和感があった中で出会った中国人ランナーがいました。彼はボランティアの方々に「お疲れ様」と必ず声をかけていたこと。

確かにランナーは走っていてシンドイ状況ですが、そんな状況でもまずは相手を思いやることで、マラソン大会はより良いものになっていくと思います。

そんなとき、2000年のシドニー五輪で金メダルを獲得した高橋尚子さんの記事を読みました

 「雨に負けずに楽しんで」と全ランナーをスタート地点で送り出した高橋さん。その後、ハイタッチをしたり声を掛けたりしながら追走し、ゴールの長野オリンピックスタジアム内では「お帰り」などとランナーを迎えた。

引用元:高橋尚子さん、ハイタッチやエール 沿道からも熱心な応援

さいごに

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今回は初めて応援にあふれるレースを走ることができました。

同時にこれまで経験してこなかった違和感を感じたのも事実ではあります。

重要なのはまずは自分から始めること。

今後のマラソンレースでも素敵な出会いに思いを馳せながら、感謝の気持ちを持って走れたらと思います。