【30代・サラリーマン】転職なんて怖くない!「Good luck」の精神でダメなら次の環境へ飛び込めばいいだけ。

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今週に入り、職場でお世話になった方へ電話で退職の挨拶を開始しました。ぼくの選んだ転職という決断に対して、様々な意見を頂きました。

否定的な意見や考え方を言う方、はたまた「おめでとう!」といって次の環境へ飛び込むことを祝福してくれる方も居て、同じ会社という環境でもここまで違う反応が返ってくることに興味を覚えた次第です。

同じ会社といっても、実はアメリカ事務所と日本本社のメンバーでは大きく考え方が違います。アメリカ事務所のメンバーは日本人ではあるが、大学からアメリカに飛び出してキャリアを一貫してアメリカで築いている人たちです。

日本本社のメンバーはといえば、比較的伝統的な習慣が残っているので新卒で入社して以来、一つの会社でキャリアを積んでいる方が殆どです。

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アメリカ側の日本人は自分の能力が全て

今回様々な人に報告をしてきましたが、アメリカ側の2人だけが「おめでとう!」と祝福してくれました。それに対して、日本側のメンバーは「大丈夫なの?」と「羨ましい」の2点が多かったです。

アメリカは契約社会のため、日本と異なりいつでも首を切られてしまう雇用環境にあります。実際に今回相談した2人の日本人も突然首を切られた経験を持っています。

日本の終身雇用は崩壊しましたが、言葉だけは残っていて未だに社員を縛り続けているように思います。そのため、市場環境や組織の変化で社員の能力がマッチしなくなっても、新陳代謝を良くして入れ替えることができません。

短期的には給料は保証されるため、社員にとって素晴らしい環境だと見えてしまいがちです。しかし、スキルがマッチしなくなったということは、会社側もそれ以上ビジネスの最前線でスキルを磨いたり経験を積む機会を与えることができないのです。

その状態が続いていくと、数年後には市場が求めるスキルとはかけ離れた状況が出来上がってしまいます。これって、物凄く怖いことですよね。

ぼくは身近にいる2人の事例しか知りませんが、両方とも「良い条件を求めて能力を上げていく」ことを前提に仕事をしています。当然、今の環境があわなかったとしたら、次の環境で少しでも良い条件を模索するだけです。

その根底には、「キャリアは自分で創るもの。そしてそれを担保する能力や経験や会社から与えられるものではない」という精神があるように思います。

だって、会社のためにやってきたとしても突然首を切られるリスクがあるのですから。

「Good luck」

アメリカにいるメンバーからはこう声を掛けてもらいました。

同僚:「まあ、次の転職先がどうなるかわからないし、その時は次の機会を求めて良い条件を探せばいいだけだよ。常に能力を磨き続けろよ」
同僚:「まあ、あれだな。Good luck!」

日本人はともすると全てのことに意味を着けたがります。それは、周りが納得する理由があって初めて自分が次の環境へ行くことが許されるといった風潮です。

でも、自分の人生、直観に従って行動するときが必ずあります。ぼくの場合で言えば、中国留学と今の会社に就職活動1社目で入社することを決めたときです。

そして、転職活動で次の職場を決めたときも、オファーを頂いたときに直観が働いたのは事実です。

様々な事情がある。それも判ります。でも、それは本当に自分の人生でやりたいことをした上での結論でしょうか?当然最小限のリスクヘッジは必要ですが、周りの意見に従って生きていくことの虚しさに人生の最後で気が付くとしたら、これは本当にもったいないです。

ぼくは今回の転職で、住む場所も変えます。9年間慣れ親しんだ中国を離れて、人生で住んだことのない土地にいきます。人間関係もゼロから構築しなおしです。仕事も異なる業界です。

でも、いいじゃないですか。進めばきっと新たな展開がでてきます。今から心配しても未来のことはわからない。でも、未知の世界へ進むために「Good luck」の言葉を胸にちょっとだけワクワクしながら違う世界を見てみればいいと思います。

違ったら、次へいけばいいだけですから。

そうそう、今回「Good luck!」って言ってもらった後に続けて面白いことを言ってもらいました。

同僚:「1回退職しちゃったら、あとは何回やっても同じだよ。だから、ダメなら次へいけばいいだけよ」

軽い! 

この精神的な軽やかさに触れて、非常に清々しい気持ちを覚えました。そう、ダメなら次へ行けばいい。そう思えたら、少しは勇気でますよね。

ぼくは精神的に行き詰った時に手にする著書があります。その中でもとびきり大好きでロックしているこの著書には、人の生き方は無数にある、決して他人が決めるものではなく、自分で自由に描けばいいと気が付かせてもらえるんです。

ドロップアウトが”脱落”ではなく、無限の可能性をひめた”冒険”であることを、たくさんの人々のライフ・ストーリーを持って明らかにし、”自由”を望むことが自然であり、”個人”のままに生きることにも様々な方法があることを、そして何よりも、日々の生活の中で満足をおぼえなければ、いくら成功しようが出世しようが、それこそが”自分自身の人生”からの脱落者である、ということを、この本で伝えたいだけだ。 森永博志