【30代・サラリーマン】日常生活のあるべき論につぶされていませんか?

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大学生のころはやりたい夢や希望を持って社会に出る期待をもっていたのに、社会にでてみて3年も経つ頃には、何とも言えない閉塞感や焦燥感に囲まれているようになっていた。

10年も社会人を続けると、色々なプレッシャーが周りから降りかかってきます。

  • 30歳になったんだから結婚するべきだ。出来ないのはお前に問題があるからだ。
  • 10年も働いているんだから、これくらいはこなせるべきだ。
  • 5年後になりたい自分を描いて、今は我慢してやるべきだ。

これ、全部ぼくが言われてきたことです。

ここ数年の閉塞感は、きっと「あるべき論」に自分が無意識のうちにあわせていこうとしていたからだと思うようになった。そして、あわせようとすればするほど行動が制限されてにっちもさっちも行かなくなっている。

「本当にこれでいいんだろうか?」

35歳にもなって情けないですが、こうした疑問をこの2年間はずっと持ち続けていました。中国でやりがいがあるとか、色々と言い訳を作って我慢してきたんですよね。

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他人が求めるあるべき論に従っていた。

今回は別に「あるべき論」や社会に対して文句をいう訳ではありません。単純に、自分がこれまで歩んできた道から変化を求めて行動した気持ちを残しておくだけです。

ぼくの前提として、「自分の人生に対して責任を持つのは自分であり、周りのせいにしても自分が望む幸せは手に入らない」と考えています。

ここまで明確に理解しているのなら、転職や移住など変化をすることは簡単だと思われます。実際に、ぼくも簡単だと思っていました。頭ではね。でも、実際には行動をしないまま2年が過ぎてしまいました。

なんで行動できないんだろう?

自己嫌悪に陥りながらズルズル来ましたが、結局は「他人の求めるあるべき論」を満たしてから変化することに拘っていたんだと気が付かされました。

転職をする際にもネットには、崇高な理由で円満退社しましょうと書かれている。これも他人が勧めるあるべき姿だよね。

そりゃあ、転職もできなくなるわって今なら笑えます。

変化したいから次へ行く。5年後なんてわからない。

今回、ぼくは転職を決めました。

留学を含めて10年近く住んでいる中国を一旦離れることにしました。人生で大切なことを一番に考えたら、自然と決断することが出来ました。そこには他人のあるべき論は一切関係していません。

祝福してくれる人もいれば、反対する人もいました。

でも、自分の人生に責任を持った決断を下しているので、全然気にもなりません。それよりはこれから遭遇する未知の世界と変化に気持ちが高ぶっています。一つだけ確実なのは、この決断を5年後に振り返った時、後悔はしていないということです。

決断を下したあと、日本人で初めて陸上の短距離種目でメダルを獲得した為末大さんの著書を読む機会がありました。

世の中に数多くあるポジティブな内容とは違い、人間が抱える根本的なレベルの悩みを批判も恐れず取り扱っていました。著書で思わず心を救われたのは、こんな内容でした。

あるとき、転職した人に理由を聞いたら、こんな答えが返ってきた。

「飽きたから」
「それだけ?」
「はい、それだけ。」

今まで転職した人に理由を聞いた中で、最も清々しい言葉だった。

責任を放棄するとかではなく、本人が望んだのであればそれはタイミングが来たということを表しているんだとぼくは受取った。崇高な理由じゃない、でも、自分が必要だと思ったことを責任を持って行動に移している。

ぼくが今回決断を下したのは、変化をしたい、違う世界を覗いてみたいといった理由が一番だった。実際に中国の大連へ留学を決めたときも、中国への駐在をアサインされたときも同じだった。

変化してみたい。新しい世界を見てみたい。

実際に中国での仕事はやりきった感があるし、成果もそれなりに残すことができた。結局、この2年間の葛藤はこれまで自分が築いてきたものを手放すのが怖かっただけだったんだよね。

変化してみたい。新しい世界を見てみたい。

それでまた新しい世界を切り開ければ、こんな楽しい人生はないと思う。自分が満足できて、ぼくが心に決めている人生で一番大切なひとを幸せにできれば、あとは多くを望まなくてもいいんじゃないかって。

今回経験した一連の行動で、他人のあるべき姿に惑わされていた自分に気が付けたのは、実は一番の収穫だったのかもしれない。

5年後はどうなっているかわからないけど、後悔しない選択をし続けていければいいかなと思っている。