【中国語】海外に一度も行ったことがない僕が、中学3年で将来の中国留学を決めた1つの理由とは?

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こんにちは!のぶさんです。

今日から2日間、2003年に1年間留学していた中国東北部の都市、大連に出張へきています。大連はぼくが初めて海外に出た都市であり、そして、1年間暮らした思い出深い場所です。

毎月出張で来ているですが、他の都市とは違って毎回来るたびに懐かしい特別な想いを抱きます。

さて、前回はぼくが何故海外に興味をもったのかという記事を書きました。

参考記事:【中国語】語学が全くできなかった純日本人のぼくが海外を目指した1つの理由

ぼくが海外に興味を持ったきかっけは、プロサッカー三浦知良選手のブラジルやイタリアへの海外挑戦に感化されたからです。

そうなればイタリア行きを決めたりするのが普通だと思うのですが、ところがどっこい、ぼくは中学校3年生で中国行きを決断します。

しかも一回も海外にいったことすらないのに、中学校3年生の時にあることがきっかけで瞬間的に決断しました。

いま振り返ると、物凄い人生の決断だったのだと、ある意味恐ろしくなります 笑

何故、僕が中国を目指したのか?

それは、ある日常の一コマから生まれた一言でした。

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海外未経験のぼくにとって、身近な「海外」は英語の先生だった!

ぼくは22歳で留学するまで、海外は一度もいったことはありません。飛行機にも乗ったことがありませんでした。

ぼくが育ったのは、静岡県のある地方都市です。

家の近くに工場があり、ブラジルから働きにきている方がいましたが、それ以外は外国人と出会う事もありませんでした。

自分の両親も日本でずっと育ってきており、自分の生活の中で「海外」を感じる事はほとんどありませんでした。

そんなぼくにとって唯一「海外」を感じられる存在が、中学校3年で英語を教えてくれた先生でした。

目の前でぼくが憧れている「海外」と直接交流ができる英語を操る存在に、中学校卒業を控えたある日、英語の先生にある想いを打ち明けました。

英語の先生から返ってきた意外な言葉

卒業を控えたある冬の寒い日、ぼくは英語の授業が終わった時に先生にこう想いを伝えました。

ぼく:「○○先生、ぼくは将来海外に行って生活したい。だから大学で英語を勉強します。

こう伝えたあと、英語の先生からは当然「がんばりなさいね!」みたいな言葉を貰えると期待していました。ところが、、、

先生:「英語を喋れる人は溢れているし、競争も激しいから英語を勉強したとしても必ずしも夢が叶えられるとは限らないよ。だから、これから経済が伸びる国の言葉を勉強しなさい。

全く予想外の回答に、もう何がなんだかわからなくなっている中学校三年のぼくに、先生はこう続けました。

先生:「今後はロシアか中国が伸びると思うわ。だからロシア語か中国語がいいと思う

ロシア語と中国語だと!!!!!!!!

英語と全然ちがうじゃーん。

でも、自分が「海外」だと崇めている先生が言うんだ。これは何かある!

中学3年で単純だったぼくは、ここでこう考えてしまったのです。

そして、ぼくは人生最大の選択肢に対して、中国語を選択した。

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ぼくには2つ上の兄がいるのですが、その兄が丁度三国志や水滸伝といった中国の歴史にはまっていました。当時は兄弟の上下関係は絶対ですから、ぼくも強制的に三国志を読まされた経験があります。

そのため、中国に関しては何となく親近感をもっていたのは事実です。

しかし、ロシアは流石に静岡の片田舎で育った少年にとって、遠すぎる存在でした。もしも、うちの兄貴が東郷平八郎やバルチック艦隊、そして日本海海戦にはまっていたら、ぼくはロシア語を選んでいたかもしれないですねw

こうして、その場で僕は先生にこう伝えました。

「先生、判りました。ぼくは大学で中国語を勉強します」

この瞬間、海外にいったことすらないぼくが、将来の中国行きを決めたのです。

この時の決断は固かったようで、高校進学後の進路指導でも一貫して「中国語」と答えていました。大学も、全て外国語学部中国学科を志望、4つ受けた大学は全て中国学科でした。

高校時代は中国行きを宣言していましたから、周りの同級生も面白がって色々といじってくれました。

幼馴染なんて、どこからか北京大学の留学パンフレットをもってきてくれましたし。まあ、大学受験時に「北京大学へ留学したい」と話して親に泣かれたのはいい思い出です。

人生にはきっかけとなる重要なポイントがある。

その後、ある県立大学の中国学科へ進学、紆余曲折もなく大連へ1年間の留学を果たします。

中学校3年で英語の先生に言われた一言で中国行きを決めて以来、ずっと中国語だけはブレずに自分のなかにもっていました。

いまではこうして中国語を使って中国で生活している訳です。当時1996年に先生がぼくに言っていたことは、やはり先見の明があったんだなと思います。

実際に日本人で英語を操る人は多くても、中国語は少ないですから。

後日談ですが、英語の先生に再会する機会があったので自分が中国行きを決めたエピソードを決めた話をしたところ、「え~、本当に中国語なの?」と言われました。

きっと、先生はそのときお酒を呑んで酔っていたんだと思います。そう思う事にします。

そうして、自堕落な大学生活を経て、突然中国への留学を決定することになるのです。

※留学した大学では30人以上のロシア人に囲まれていました。そういう意味では、ロシアとも縁があったのかもしれません。

PS:ぼくの人生を導いてくれた英語の先生ですが、その後は英語の先生を辞めて夢だった歌手として活動をしていると人づてにききました。先生も、ずっとやりたいことを安定した職を捨ててまで追いかけたと友人は話してくれました。

今考えると、英語の先生も夢を内に秘めていたからこそ、ぼくも先生の言葉を疑わずに信じれたのかもしれないと、いまふっと考えるときがあります。